- 例祭(4月18日)
- どんど焼祭(小正月後の日曜日)
- 御弓始祭(1月17日)
- 節分祭(2月3日)
- 初甲子祭(寒明け後の甲子の日)
- 祈年祭(2月18日)
- 氏子入り報告祭「十二段舞楽奉奏」(4月18日に一番近い土・日曜日)
- 大祓式(6月30日・12月31日)
- 新嘗祭(11月23日)
- 月次祭(毎月1日・18日) など
年中行事
日本の文化と四季一年
その昔、一年を24節気(にじゅうしせっき)、 さらに3つに分けた72候(しちじゅうにこう)として移りゆく季節を表しました。 年中行事は、その変化に富んだ四季の中で育まれ、 培われた日本の文化です。
春の祈り
節分
春、いのちが芽生える季節の中で 2月3日
豆まき行事で撒かれる豆には古くから穀物の穀霊が宿り、生命の源の象徴の一つと考えられてきました。鬼に豆を撒くことで邪気を追い払います。節分には厄災を祓うために「鬼は外、福は内」のかけ声もと豆をまき鬼を追いやり、鰯の頭を刺した柊の枝を門口に差し立てます。
節分はもともと立春、立夏、立秋、立冬の節目を指し、年4回ありましたが、旧暦では正月元旦から7日間に当たることが多く、立春正月と呼ばれ季節の上で1年の始まりと考えたことから立春の前日に当たる「節分」は特別な意味を持つようになり、豆まき行事や追儺(鬼やらい)行事が行なわれるようになりました。
節分のマメ知識
春の訪れは草、木、獣などあらゆる生命の命の芽生えを迎える時期にあたります。豆まきのあとで福豆を年齢より一つ多く食べます。これは、満年齢ではなく数え年の分を食べて1年の無病息災を願います。節分行事には冬籠もりの暗い気分を一掃しその上で新しい春を迎えようとする祖先の知恵と祈りが表れたものともいえます。上巳の節句
ひなまつり・桃の節句 3月3日
3月初めの巳(み)の日を上巳(じょうし)といい現在では雛人形を飾り、桃の花やよもぎ餅をお供えして女の子の成長をお祝いする「雛祭り」の行事です。
古来日本では、人の形に紙を切り抜いた"ひとがた"で体をなでてけがれを落とし、海や川に流す祓(はらえ)の行事でした。その"ひとがた"が次第に華やかになり、現在のひな人形となりました。女の子の節句としてひな人形を飾り、桃の花や菱餅を飾るようになったのは江戸時代になってからで「桃の節句」とも呼ばれます。
ひなまつりのマメ知識
ひな人形は節分の翌日に飾りつけると良いとされ、逆に前日に飾ることは「一夜飾り」といって縁起が悪いとされています。またこの日には白酒やハマグリのお吸い物を頂きます。春分の日
3月21日頃
3月21日頃は太陽が真東から登り真西に沈み、昼夜の長さが同じになります。
この日を「春分の日」といい、これを中日とした7日間を「彼岸」として家々では祖先の御霊をお祭りし、お墓参りをします。宮中では、歴代天皇の御霊を祀る行事、春季皇霊祭が行われています。
春分の日のマメ知識
お彼岸になると、春には「ぼたもち」、秋には「おはぎ」をお供えしますが、これは呼び名が違うだけで実際には同じものです。春の花「牡丹」、秋の花は「萩」と季節の花に例えて呼び名が分かれています。お花見~山遊び・野遊び
桜の木の下で、日本人の桜への深い親しみ。
桜の木の下でお重やお弁当を広げ、お酒を飲んで宴会をする行事には日本人の桜への深い親しみが込められています。
お花見はかつて「山遊び」・「野遊び」と呼ばれ、冬籠もりの暗い気持ちから抜けだしいよいよ春を迎え野外に出かけて飲食をしたことが起源といわれています。また桜は古くから日本の山野に自生をしている植物で、日本では花といえば桜と言われるように大変親しまれてきました。それは桜が「稲の神さまの宿る木」とされ生命の源の象徴の一つと考えられているからです。
お花見のマメ知識
サクラの「サ」は稲の霊を意味して、他にも苗を植える月を皐月(サツキ)、苗のことを早苗(サナエ)といい、稲にまつわる言葉がほとんどです。古来、人々は稲の魂が宿った桜の木にお供えをして田の神さまにその年の豊作を祈りました。端午の節句
子供まつり
「桃の節句」が女の子の節句であることに対して「端午の節句」は男の子の節句として広く知られています。
「端午」とは月初めの午の日を指しましたが、5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになりました。お供えする菖蒲やヨモギやチマキは邪気を祓うといわれ、菖蒲を家の軒先に差し、お風呂に入れて魔除けとする祓(はらえ)の行事でした。又、菖蒲をと尚武(しょうぶ)とをかけて、鯉のぼり、鎧、甲冑、武者人形を飾り次第に男の子の立身出世を願う行事になりました。
5月(皐月)は春から夏への季節の変わり目にあたり、疲れが表れ病気になりやすい頃です。また、田植えは一番多忙な時期に当たります。これらにそなえて邪気を祓い十分な鋭気を養っておく必要がありました。「端午の節句」にはそんな時期を乗り切る祖先の知恵が盛り込まれているのです。
端午の節句のマメ知識
カシワの葉は新芽が育つまでは古い葉が落ちないことから「子孫繁栄(家系が途切れない)」という縁起をかついだものとされています。端午の節句に柏餅を食べるという文化は、江戸でうまれました。夏の祈り
夏越大祓式
1年の折り返し、祓い清めの慣わしで日々を穏やかに
- 当社では、6月初旬から社頭にて「大祓人形」をお頒ちをしています。大祓式当日まで毎日授与いたしておりますので、お気軽に社務所までお声かけください。
- 夏越大祓の受付期間には特別に「茅輪守り」(初穂料600円)のお頒ちもいたしております。「茅輪守り」とは先述した蘇民将来と武塔神との神話により無病息災、疫病除の祈念を込め奉製をいたしております。
七夕の節句
星に願いを、お盆祭りのプロローグ
「笹の葉さらさら 軒端にゆれる お星さまきらきら 金銀砂子」七夕の節句とは、七夕祭のことです。願い事を書いた短冊を結んだ竹や笹が飾られる風景は夏の風物詩です。
七夕は食物の成長を感謝する収穫祭と棚機女(たなばため)と呼ばれる娘がお盆に祖先の御霊(みたま)をお迎えする前に御霊の衣服を織り、棚に供え、心身の穢れを祓う招霊の行事でした。そこに大陸から伝わった「織姫」・「彦星」が年1度だけ天の川を渡って会えることが許されるという「星祭り」と技能や芸能の上達を願う祭「乞巧奠」(きこうてん)の風習が入ってきて現在の笹竹に願い事を書いた短冊を結びつけて祈る行事へと変化していきました。
七夕のマメ知識
七夕飾りは7月6日の夜に作り軒先に飾ります。そして、7月7日の朝に取り払うのが正式とされています。また、地方によっては8月に行事を行なう所もあります。土用の丑の日
夏を乗り切る先人たちの知恵 7月21日頃
土用とは本来、立春、立夏、立秋、立冬の前の18日間を指し、年に四回あります。
特に季候の変化が激しい7月20日~8月7日頃までの立秋前の土用が現在は「土用」として特に知られています。その期間にある「丑の日」に鰻を食べて夏に負けない体力をつけようという習慣が全国に広がりました。
他にもウの字がつく食べ物、瓜・うどん・梅干し・牛肉などを食する地域も多く、土用餅(どようもち)を作って食べる地方もあります。お餅という節目の日のお供物を作りそれを食べることからも「土用」が年中行事の大切な折り目になっていることが伺えます。
お盆
幸せを祈る心、ご先祖さまに感謝を伝える 7月13日~16日・8月13日~16日
お盆はお正月とならんで1年のうちで最も大切な行事です。
一般的には7月13日~16日のいずれかにお盆の行事は行なわれています。
祖先の御霊を祀る風習は、仏教伝来以前の日本の民俗固有の習俗で、私たちを見守ってくれている祖先の御霊に感謝と祈りを捧げてきました。後に仏教行事の「盂蘭盆会」と合わさりました。お盆の間は家に戻ってくる祖先の御霊をお迎えし、またお送りするまでの行事が行なわれます。
お盆行事の流れ
- 盆棚を作りましょう
「盆棚」はご先祖さまをお迎えしておまつりをする祭壇です。古くは座敷に笹竹で組み合わせた4本柱を立て、その下に棚台を置いて作ったものが多くみかけられましたが、近年では小机を置きその上に「霊璽」や季節のお供え物を並べる方法が一般的です。
- 迎え火、送り火を焚きましょう
13日の夕方に、門や玄関前で「おがら」と呼ばれる麻の茎や麦わら、松の割り木を燃やして「迎え火」を焚いてご先祖さまをお迎えしましょう。15日もしくは16日(地方によって違いがあります)にはもう1度「おがら」を燃やして「送り火」を焚きご先祖さまをお送りしましょう。
- 精霊流し(しょうろうながし)
送り火を焚いた後、盆棚のお供えや飾りを盆船に乗せて明け方までに川や海に流す伝統的なしきたりが「精霊流し」です。しかし、現在では伝統行事として残っているのは一部の地域だけです。
秋の祈り
重陽の節句
菊まつり 9月9日
重陽(ちょうよう)の節句9月9日は縁起の良い奇数(陽数)の最大値"9"が重なることから重陽とよばれます。
「菊の節句」とも呼ばれ、奈良・平安時代には宮中において菊の花びらを浮かべたお酒をいただき詩歌を詠む宴が開かれるなど文化的行事も盛んでした。
民間でも前夜に菊に綿をかぶせ、9日の朝にその露で湿った綿で体を拭いて邪気を祓い、長寿を願い菊酒や菊料理をいただきました。現在でも菊の花を観賞する行事が全国各地の神社で催されています。
重陽の節句マメ知識
節句には季節の花が深い関わりを持っています。これは季節の花には神々が宿るという考え方に由来します。重陽の節句に菊酒を飲むには菊花に宿る神さまの力をいただきたいとの願いが込められています。十五夜
月に祈る、実りと感謝 9月中旬~10月初旬
もともとは旧暦の8月15日の夜、現在の暦では9月中旬から10月下旬頃の満月の日を「十五夜」といい、この日の夜を「中秋の名月」と呼びます。
「中秋の名月」を鑑賞する習慣は平安時代に始まりましたが、本来は秋の収穫の実りを月に感謝をする収穫祭の意味があります。春から手がけていた作物が秋に実り、人々に大事な食料をもたらしてくれます。
日本人はこの自然の恵みに感謝をしてこの時期に色々なお祭りを行ないました。特にこの時期に多く収穫ができる採れたての里芋をお供えする風習が広まり「芋名月」とも呼ばれています。月見団子やススキをお供えし「中秋の名月」を鑑賞する行事は「観月祭」として神社にも伝わっています。
十五夜のマメ知識
旧暦の8月15日の他にも旧暦の9月13日(10月末頃)の月を「十三夜」といい、美しい月を楽しむ習慣があります。ススキや月見団子の他にも栗や枝豆、地域によっては新米でついたお餅をお供えします。「栗名月」・「豆名月」とも呼ばれます。「十五夜」が畑作の祝いであるのに対し「十三夜」は稲作の祝いであると考えられます。
秋分の日
9月23日頃
春のお彼岸「春分の日」に対して、秋のお彼岸は9月23日頃を「秋分の日」を中日とした7日間を「彼岸」といい、家々では祖先の御霊をお祭りし、お墓参りをします。
「暑さ、寒さも彼岸まで」と言うように、この日を境に夏から秋へと季節が移り変わっていきます。仏教行事と思われがちですが、日本の神話「古事記」の中にも御霊を祀った記述があることからも、仏教渡来以前の日本古来の祖霊信仰に基づく行事であることが伺えます。宮中では、歴代天皇の御霊を祀る行事、秋季皇霊祭が行われています。
冬の祈り
冬至
春への祈り、太陽の再生 12月22日頃
「冬至」は24気の一つで、年中最終の節気に当たります。
これは太陽が赤道の南を最も遠いところに至る時で、昼間が最も短く夜が最も長い日です。年によって日にちがずれますが、毎年12月22日頃になります。現在の暦(太陽暦)の正月が定着するまでは「冬至」を過ぎると日毎に昼間が長くなることから、太陽の運行の出発点、太陽の再生と捉えられこれを祝う風習があり暦の起点とされていました。
冬至のマメ知識
「冬至」にはかぼちゃを食べたり、ゆず湯に浸かり無病息災を祈ります。これは、この時期の旬の食材をお供えして太陽の再生を祈り、それを皆でいただくことで神さまの力をからだに取り込みたいという願いが込められています。冬が旬のゆずは香りも強く、強い香りのもとには邪気がおこらないという考えもあります。また、かぼちゃやゆずには栄養学にもビタミンが豊富であることから、風邪の予防になります。師走大祓式
1年の締めくくり、祓い清めの慣わしで清々しく新年を迎えましょう。
1年の折り返し地点の6月の晦日に行なれた「夏越大祓式」から半年が経った1年最後の日の「大晦日」には日常生活の中で知らず知らずに犯した罪や過ち心身の穢れを身代わりとなる人形(ひとがた)に託し海や川に流して祓い清める「師走大祓式」が行なわれます。
「夏越大祓式」は一連のお盆の行事を迎えるための上半期総括のお祓いであるのに対して「師走大祓」は下半期の日常で知らぬ間に犯した罪や穢れを祓い清めて年神さまを迎える為の1年の総括のお祓いとなります。
年神さまってなんだろう?
正月に訪れて「新しい年をもたらす神さま」で、正月様ともいいます。又、年神さまは祖霊(祖先の御霊)の性格をもつとされています。ご先祖様を迎えるお盆行事と年神さまを迎える正月行事は1年の中で最も重要な行事です。大晦日・除夜
今年と来年を繋ぐ夜。
1年の最後の日、今年の終わりと共に来年に続く夜でもある12月31日の大晦日の夜を「除夜」といいます。
「除夜」に夜通し起きている慣わしは人々が年神さまを迎え、1年の終わりが1年の始まりに通じることを、目覚めたままで確認しようとする尊い気持ちがこの風習を生み、今日でも続いています。
12月(師走)に入ってからは大晦日に至るまでに年末の「すす払い」や「餅つき」など大小様々な行事があり、お正月準備に忙しくなります。その一つ一つにも私たちが祖先から受け継いだ節目節目を大切にする、「感謝」と「祈り」の心が映し出されています。
元旦
初詣、1年初めの日、年神さまをおもてなし 1月1日
1月1日を「元日」といい、その日の朝を「元旦」といって特に大切にします。
年の初めに年神さまを迎え、もてなすことが正月行事の中心です。その準備は年末から行なわれ、しめ縄をはり、門松を立て、鏡餅やお神酒を供えておまつりをします。また、「元旦」には初詣が行なわれ、毎年大勢の参拝者で賑わいます。ご先祖さまに見守らっていただいていることへの感謝をしつつ、地域の神社(氏神さま)や崇敬神社をお参りし、前年の反省や新たな年を清々しく送れるようにお祈りしましょう。
お正月のマメ知識
- 門松
- 鏡餅
- お年玉
お正月に門の両脇に立てる門松は、古来、神さまは緑豊かな常緑樹に宿ると信じられ、飾られるようになりました。松の他には柳、栗、樫、榊、竹なども使われます。
鏡餅は年神さまが宿る「依り代」の一つでもあります。飾り付けは地方によって様々ですが、三方の上に半紙を敷き、ゆずり葉、こんぶ、裏白、かち栗、みかん、昆布、伊勢海老などを置いて大小の丸いお餅を重ね、一番上にはだいだい(みかんなど)を飾ります。
私たちの祖先は丸い形の「玉」が「魂」に通じると考えられていたため、年神さまの力が宿った丸いお餅を年頭に子供たちの健やかな成長を願って贈りました。今ではお金をあげますが、先ずは、神棚にお供えをして「感謝」と「祈り」を込めて、神さまの前で一人ひとりに手渡したいものです。
人日の節句
七草の祝いと無病息災 1月7日
春の七草、芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、繁縷(はこべ)、仏座(ほとけのざ)、菘(すずな)、蘿蔔(すずしろ)七草粥でおなじみですが、日本にはもともと、この日に若菜を神さまにお供えし、お下がりを頂き豊作を祈る風習がありました。
そこへ、大陸から伝わった正月7日に人を占った「人日」の日に七草のお吸い物を頂いて無病息災を祈る風習が重なり、七草粥を食べるようになりました。
七草粥には、寒い冬を乗り越えて芽を出す若菜の力強さをわけてもらいたいとの思いが込められています。
七草のマメ知識
百人一首の中に光孝天皇が詠まれた”君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣手に雪は降りつつ”は、七草を摘みに出られたことを表しているといわれています。鏡開き
神さまが宿ったお餅、家族みんなでいただこう 1月11日
元旦のお供えである鏡餅は飾り付けの方法は地方によって様々ですが、三方の上に半紙を敷き、ゆずり葉、こんぶ、裏白、かち栗、みかん、昆布、伊勢海老などを置いて大小の丸いお餅を重ね、一番上にはだいだい(みかんなど)を飾ります。
年神さまが宿る場所でもある鏡餅は通常は11日に下げ、家族揃って雑煮やおしるこにして食べることで年神さまのお力をいただきます。その際には刃物を使わずに手や槌で割り開くことから「鏡開き」・「鏡割り」といわれます。これにより、年末から続いていた一連のお正月行事が一段落します。
鏡開きのマメ知識
「鏡開き」の祝いには新年にお迎えした年神さまをお送りする意味もあります。また、小正月の行事として「左義長」や「どんど焼き」にも同じような意味が込められています。お祭り
日本の文化と季節を象徴する行事
大祓式
毎年6月と12月の晦日に行なわれる神事
古くは平安時代に編纂された書物「延喜式」にもその記述があり毎年6月の晦日に行なわれる「夏越大祓式」と、12月の大晦日の「師走大祓式」が年に二回行われます。
茅の輪くぐり
大祓人形
穢れをひとがたに託す
夏越大祓では「茅の輪」くぐりが行われますがこれは「備後國風土記」に記されている逸話で蘇民将来(そみんしょうらい)が武塔神(むとうのかみ)に一夜の宿を提供したところ「もしも、後世に疫病が流行ったならば、蘇民将来の子孫であると言って茅の輪を腰につけなさい」と言われ、その通りにして疫病を免れることができたという神話に基づくものです。
6月の「夏越大祓式」に対して「師走大祓式」はその年の下半期の罪・穢れを祓い清め、清浄な心身で新年を迎えるために行ないます。
大祓人形の授与
毎年五月上旬(夏越大祓式)・十二月上旬(師走大祓式)に社務所受付にて大祓人形(おおはらえひとがた)を授与しております。
- 当社にてご祈祷をお受けになられた方、大祓式をお申し込みの方には当社よりご案内をお送りしております。
- 遠方の申し込みの方には「大祓人形」をご郵送いたします。
大祓式の申し込み
- お申し込みは社務所受付・郵送にてお受けしております。
- 初穂料はお気持ちにてお納め頂いております。
- 人形に罪・穢れを託し、当社へお納め下さい。
- 神事の後、お申し込みの住所へ御神札をお送りしております。
大祓人形の扱い方
- 人形にご家族それぞれの氏名・生年月日を記入し、身体を撫で、半年間の罪・穢れを託し、息を吹きかけます。尚、人形の枚数が不足の場合は、同封の人形を参考にお作り願います。
「茅輪守り」とは先述した蘇民将来と武塔神との神話により無病息災、疫病除の祈念を込め奉製をいたしております。
よくあるご質問
10日ほどで到着をいたします。10日過ぎても届かない場合は社務所までご連絡下さい。
また、必要枚数が多い場合は追加で発送をいたします。でお早目にご連絡ください。