この木像は以前は社務所前にあった楼門に安置されていましたが、明治15年の大火により一部焼失、その後修復し現在は森町有形文化財となっています。
宝物
宝物
徳川家康公奉納の三条小鍛冶宗近銘の大刀二振、大身槍一振
経塚遺跡
宝蔵
古鏡・経筒の他、遠州報國隊の連判状、感状、等数点がございます。
右大臣・左大臣
拝殿の両脇を司る両大臣
仁安三年の壺
経塚より発見された壺
遠江國一宮小國神社の本殿裏に、径十六m前後の経塚北半分が残っています。この経塚から発見された遺物が宝蔵に保存されています。 茶色の内陶製外容器に「仁安三年」の銘があって経塚築営年代が分るとともに末法思想にもとずく経塚造営がこの地方にも波及した時期を教えてくれます。
歌仙額
拝殿を囲む歌人の姿絵
優れた歌人の姿絵に、歌と時には歌人の略伝を添えて描いた絵を歌仙額といい、「三十六人撰」によるものが多く、近世では神社に奉納する扁額が歌仙絵の主体となっています。
小国神社の三十六歌仙絵は拝殿の鴨居の上に扁額としてあげられています。
経筒・古鏡
経塚より出土した平安末期と推定される経筒・古鏡
奈良時代の項から神仏習合行われ写経して神前に奉納し、又は経塚を築き納める風習起るに従い当社にもこの行事があり、明治18年御本殿修築に際し、塚の半分を欠き崩したと二ろ、仁安三年九月二十八日の銘のある土器一個、経筒三筒、古鏡二面、曲刀一振を出土しました。
この経筒の年代は、平安末期と推定され大きさは高さ21㎝・径18,5㎝・高さ21㎝・径10,5m・高さ15㎝・径10㎝の三筒です。
長歌「詞珠衣 」
小國神社神主小國重年は本居宣長の門人で壮年の頃、記紀万葉集の長歌を分類研究し「長歌言葉珠衣」六巻(昭和49年3月19日 森町指定有形文化財)を著わし、歌格研究の先駆者として歌学史の上に不朽の名をとどめた国学者です。
遠州報國隊姓名録と御感状
大総督有栖川宮熾仁親王より頂いた御感状
明治初期に明治天皇が東京へ入城の際、官軍及豆州伊吹隊駿河赤心隊とともに警護をした遠州報国隊々員の氏名とその労をたたへ大総督有栖川宮熾仁親王より頂いた御感状は宝蔵に保管されています。
延宝の社記
300年前を今に伝える小國神社の記録書
今から約300年前に古きより伝へられてきた事実をもとにして、小國神社の創祀・由諸・祭神名・末社関係組織等か書かれた記録書で明治15年の大火にもたすかり、現在は森町有形文化財に指定されています