季節の便り
斎庭の草花 ムラサキニガナ・ナヨテンマが開花しています。◆明治天皇御製(ぎょせい)・昭憲皇太后御歌(みうた)に親しむ◆
Vol. 248:2020.06.15(月)
本日は梅雨の中休みとなり、雨は降ることはありませんでしたが太陽は雲に隠れがちな一日となりました。
連日の雨の恵みを受けて、様々な花が開花を迎えています。
また、ご神域の青葉もみじも瑞々しく爽やかに風に揺れています。
カメラを片手に境内を巡っていますと、本当に多くの皆様が心穏やかに散策を楽しまれている姿を見受けます。
身体の健康はもちろん、心の健康も常に意識をして過ごすことが肝要に存じます。
心に疲れを感じたときには、ゆっくりとご参拝され、時間の許す限り小國神社のご神域を散策してください。
それでは、ご神域の花々の様子をお伝えいたします。
(ナヨテンマの開花:令和2年6月15日撮影)
葉緑素を持たず、光合成を行わない、不思議な植物です。
菌類に寄生することでその養分を糧として生きる特殊な生活様式を獲得した植物です。
美しい花というよりかは不思議な花と言った方が良いかも知れません。
様々な生き方を獲得している植物の多様性に唯々驚くばかりです。
温暖帯の常緑広葉樹林や、スギやヒノキ植林の林床に生えます。茎は肌色を思わせる淡褐色です。
茎はとても細長く、全体として弱々しい印象で、これが和名「ナヨテンマ」の由来と言われています。
分布域は本州の千葉県・伊豆諸島・静岡県、広島県、及び、四国・九州とされていますが、近年神奈川県でも自生地が報告されています。
(ナヨテンマの開花:令和2年6月15日撮影)
オランダの植物学者のカール・ルートヴィヒ・リッター・フォン・ブルーム(Carl Ludwig Ritter von Blume )が1856年に記載してか
ら、1965年に静岡県掛川市で生育しているものが発見されるまで、100年以上もの間発見されなかった、希少な植物です。
環境省は絶滅危惧植物ⅠB類(近い将来における絶滅の危険性が高い種)に指定しています。
枯れ葉の量や、腐植土の菌類のバランスなどの微妙な環境の変化で絶えてしまうとも言われています。
大変貴重な種ですので、見つけた際は触れたりせずに、そっと観察してください。
(ムラサキニガナの開花:令和2年6月15日撮影)
本州、四国、九州 ・ 中国中部に分布しているとされ、里山の林縁、落葉広葉樹の陰に咲きます。
和名の由来は「紫色した苦菜」という事だそうですが、以前ご紹介をしたニガナには全く似てはいません。
では、なぜ苦菜と呼ばれるのかはハッキリわかりませんが、茎を折ると苦みのある白い乳液がでることに由来するともいわれます。
(ムラサキニガナの開花:令和2年6月15日撮影)
また、面白い特徴としては、曇りの日などは花は咲かず、開花時間は短く午後2時過ぎにはと花が閉じることがほとんどです。
小國神社では、良く見かけるこちらの花も一部の地域では、絶滅危惧や準絶滅危惧種に指定をされています。
(令和2年6月15日撮影)
大神様が鎮まる自然豊かな癒やしの杜を大切に守り、次世代に繋いでゆきましょう。
◆明治天皇御製(ぎょせい)・昭憲皇太后御歌(みうた)に親しむ◆
さて『季節の便り』では激動の変革期を治められ、国土と自然を愛し多くの優れた和歌を残された
明治天皇の御製(陛下がお作りになられた和歌)、昭憲皇太后の御歌(皇太后がお作りになられた和歌)
をご紹介いたします。
それぞれの歌に込められた大御心に触れて頂くきっかけとなれば幸いに存じます。
御 製
◇みづがきの 松の根ざしの ゆるぎなき 国のさかえを 神はもるらむ◇
意 訳
◆神殿を囲む瑞垣の内にしっかり根ざしている松のように、揺らぐことのない「国の繁栄」を神様は護ってくださることでしょう◆
今回は御製です。
我が国は、神話に国の成り立ちを求めることができる世界でも希有な国です。
古代から現代に至るまで変わることなく、ご皇室をはじめ、全国津々浦々の神社やそれぞれの地域や家庭において神々への『感謝』と『祈
り』を捧げる祭祀が途絶えることはありませんでした。
その長い長い歴史のなかで、私たちが世界に誇るべき伝統や「和の文化」が育まれてきました。
まさに、我が国は、神様をお祀りする精神文化を礎に発展してきた「祈りの国」であると存じます。
□昭憲皇太后について□
~社会福祉や女子教育に尽力された生涯~
昭憲皇太后は嘉永3年、一条忠香公の第三女としてお生まれになられました。
生涯にわたり、女子教育のご奨励と博愛、慈善事業について尽力されました。
なかでも、お茶の水の東京女子師範学校の設立の際には、多額のお手許金(私有財産)を下賜(かし)された
ことは広く知られていま
す。
とりわけ、日本赤十字社の設立と経営に尽くされ、赤十字国際委員会に寄付された「昭憲皇太后基金
(Empress Shoken Fund)」は、赤十字の平時における救護活動の先例となりました。
いまでもその基金は、世界各国の赤十字助成のために活用され、
今日までその恩恵に浴した国は、延べ500ヶ国におよんでいます。
大正3年4月11日に崩御され、伏見桃山東陵に埋葬されました。
現在は、東京都代々木に鎮座する明治神宮において、明治天皇とともにそのご神霊がお祀りをされています。
連日の雨の恵みを受けて、様々な花が開花を迎えています。
また、ご神域の青葉もみじも瑞々しく爽やかに風に揺れています。
カメラを片手に境内を巡っていますと、本当に多くの皆様が心穏やかに散策を楽しまれている姿を見受けます。
身体の健康はもちろん、心の健康も常に意識をして過ごすことが肝要に存じます。
心に疲れを感じたときには、ゆっくりとご参拝され、時間の許す限り小國神社のご神域を散策してください。
それでは、ご神域の花々の様子をお伝えいたします。
(ナヨテンマの開花:令和2年6月15日撮影)
葉緑素を持たず、光合成を行わない、不思議な植物です。
菌類に寄生することでその養分を糧として生きる特殊な生活様式を獲得した植物です。
美しい花というよりかは不思議な花と言った方が良いかも知れません。
様々な生き方を獲得している植物の多様性に唯々驚くばかりです。
温暖帯の常緑広葉樹林や、スギやヒノキ植林の林床に生えます。茎は肌色を思わせる淡褐色です。
茎はとても細長く、全体として弱々しい印象で、これが和名「ナヨテンマ」の由来と言われています。
分布域は本州の千葉県・伊豆諸島・静岡県、広島県、及び、四国・九州とされていますが、近年神奈川県でも自生地が報告されています。
(ナヨテンマの開花:令和2年6月15日撮影)
オランダの植物学者のカール・ルートヴィヒ・リッター・フォン・ブルーム(Carl Ludwig Ritter von Blume )が1856年に記載してか
ら、1965年に静岡県掛川市で生育しているものが発見されるまで、100年以上もの間発見されなかった、希少な植物です。
環境省は絶滅危惧植物ⅠB類(近い将来における絶滅の危険性が高い種)に指定しています。
枯れ葉の量や、腐植土の菌類のバランスなどの微妙な環境の変化で絶えてしまうとも言われています。
大変貴重な種ですので、見つけた際は触れたりせずに、そっと観察してください。
(ムラサキニガナの開花:令和2年6月15日撮影)
本州、四国、九州 ・ 中国中部に分布しているとされ、里山の林縁、落葉広葉樹の陰に咲きます。
和名の由来は「紫色した苦菜」という事だそうですが、以前ご紹介をしたニガナには全く似てはいません。
では、なぜ苦菜と呼ばれるのかはハッキリわかりませんが、茎を折ると苦みのある白い乳液がでることに由来するともいわれます。
(ムラサキニガナの開花:令和2年6月15日撮影)
また、面白い特徴としては、曇りの日などは花は咲かず、開花時間は短く午後2時過ぎにはと花が閉じることがほとんどです。
小國神社では、良く見かけるこちらの花も一部の地域では、絶滅危惧や準絶滅危惧種に指定をされています。
(令和2年6月15日撮影)
大神様が鎮まる自然豊かな癒やしの杜を大切に守り、次世代に繋いでゆきましょう。
◆明治天皇御製(ぎょせい)・昭憲皇太后御歌(みうた)に親しむ◆
さて『季節の便り』では激動の変革期を治められ、国土と自然を愛し多くの優れた和歌を残された
明治天皇の御製(陛下がお作りになられた和歌)、昭憲皇太后の御歌(皇太后がお作りになられた和歌)
をご紹介いたします。
それぞれの歌に込められた大御心に触れて頂くきっかけとなれば幸いに存じます。
御 製
◇みづがきの 松の根ざしの ゆるぎなき 国のさかえを 神はもるらむ◇
意 訳
◆神殿を囲む瑞垣の内にしっかり根ざしている松のように、揺らぐことのない「国の繁栄」を神様は護ってくださることでしょう◆
今回は御製です。
我が国は、神話に国の成り立ちを求めることができる世界でも希有な国です。
古代から現代に至るまで変わることなく、ご皇室をはじめ、全国津々浦々の神社やそれぞれの地域や家庭において神々への『感謝』と『祈
り』を捧げる祭祀が途絶えることはありませんでした。
その長い長い歴史のなかで、私たちが世界に誇るべき伝統や「和の文化」が育まれてきました。
まさに、我が国は、神様をお祀りする精神文化を礎に発展してきた「祈りの国」であると存じます。
□昭憲皇太后について□
~社会福祉や女子教育に尽力された生涯~
昭憲皇太后は嘉永3年、一条忠香公の第三女としてお生まれになられました。
生涯にわたり、女子教育のご奨励と博愛、慈善事業について尽力されました。
なかでも、お茶の水の東京女子師範学校の設立の際には、多額のお手許金(私有財産)を下賜(かし)された
ことは広く知られていま
す。
とりわけ、日本赤十字社の設立と経営に尽くされ、赤十字国際委員会に寄付された「昭憲皇太后基金
(Empress Shoken Fund)」は、赤十字の平時における救護活動の先例となりました。
いまでもその基金は、世界各国の赤十字助成のために活用され、
今日までその恩恵に浴した国は、延べ500ヶ国におよんでいます。
大正3年4月11日に崩御され、伏見桃山東陵に埋葬されました。
現在は、東京都代々木に鎮座する明治神宮において、明治天皇とともにそのご神霊がお祀りをされています。