「罪」とはなんでしょうか
罪の観念は時代とともに変遷しますが、恐怖を抱かせる反社会的行為・疾病・災禍などのことを指します。
大祓は、古代から毎年6月の晦日と12月の大晦日に、半年の罪や穢れを祓い除く儀式として行われてきたもので、現在も宮中を始め全国の神社などでおこなわれています。
古代においては、都の朱雀門という大内裏正門の前に、親王・諸王以下百官の男女、またその周辺の里人などが集まり、中臣氏によって「大祓詞」が読まれ、卜部氏によって罪・穢れが祓われました。この時に読まれた「大祓詞」は平安時代に編纂された「延喜式」巻第八に記載されていて、現在も見ることができます。
今日神社で用いられている「大祓詞」は、その「延喜式」祝詞の一部省略し、読み方も少し改めているものが奏上されています。
漠然と「お祓い」という言葉を聞くと、厄祓いなど、多くの皆さんは「何かわるいものを取り除く」ようなイメージをもたれる方が多いと思います。
本来、「祓」とは罪や穢れを取り去って清浄になることです。
その究極は生まれ出たときの様な清らかな本性が現れること、つまり、神さまから授けられた本来の自己に帰ることを指します。そのため、清浄を尊ぶ神道では、様々な祭りや神事あるいはご祈祷などの前には必ず「修祓」と言われるお祓いをおこないます。
これは神職や神具そして参列者などを清浄に導くために必要不可欠な神事です。もちろん、大祓式の前にもおこない、清浄に清浄を重ねて儀式に臨みます。
罪の観念は時代とともに変遷しますが、恐怖を抱かせる反社会的行為・疾病・災禍などのことを指します。
「穢れ」の解釈は時代と共にその捉え方が拡大したり細分化されますが、自然発生的な現象により、物事の清浄、心の静謐を乱すものを指します。
日本人は古くから、言葉には魂があると信じてきました。
これを「言霊」と言います。
古来より、言葉には神秘的・霊的な力が宿っていてその言葉を口に出す事で言葉に宿っている霊力が発動される、という「言霊」に対する信仰があります。万葉集では日本のことを「言霊の幸はふ国」や「言霊の佑くる国」などと表現していることからも「言霊」の重要性が伺えます。
神さまに感謝の気持ちを表わす時や、お願いごとをするときに「言霊」を込めて読み上げる文章が、「祝詞」の意味です。「言霊」は言葉に出すことが大切とされています。
「祝詞」を声に出して読むことを「奏上」といいます。奏上することで、一層のご加護があるとされています。祝詞の代表的なものに、大祓詞、神棚拝詞、神社拝詞、略拝詞などがあります。
「大祓詞」は仏教の「般若心経」にあたるものです。
古くは「中臣祓詞(なかとみのはらえことば)」ともいわれ、奈良時代以前から存在したともいわれ、1200年以上の歴史をもつとても古い祝詞です。
平安時代に編纂された延喜式の中にも、長文の祝詞は沢山ありますが、大祓詞が一番長く、現在奏上されている大祓詞も最も長い祝詞の一つです。
祝詞の中の祝詞とも言われるほど完成度の高い文体で、文学的にも高く評価されています。また、恒例の大祓式以外にも様々なお祓いで用いられることから「万能祈願祝詞」とも言われることがあります。
大祓詞は、約900の文字から構成されています。(仏教における「般若心経」は276文字の3倍)この祝詞の文章については諸説ありますが、誰が作ったものかは未だ明らかになっていません。
神道には教祖や教義や教典がないように、大祓詞も特定の個人が創り出したものではなく、私たちの祖先が神々と営みを共にすることで自然に出来上がってきたものです。また、大祓は、個人を対象にしたお祓いに留まらず、全体、公に対するお祓いでもあります。いわば「国民全員」、「社会全体」の罪穢れ、災厄を取り除くためのお祓いといえます。
恒例としては、6月、12月の晦日、大晦日に行われていますが、悪疫が流行したり天災などの異変があったとき、あるいは天皇崩御の際や大嘗祭のときなどの重要な国の儀式が伴うときなどに行なわれてきました。
(14分50秒)
今日、私たちは、神社やお祭りを通して1,000年以上前のことを目の当たりすることができます。1,200年以上前から伝わる「祝詞」(のりと)、「大祓詞」(おおはらえのことば)を紐解くと、古代の人々が神々をとても身近な存在として感じていたことがとてもよくわかります。と同時に、私たちの祖先が「大切にしてきた生き方」にも気がつきます。それは、「神々を敬い、万物に霊性を認め、祖先の心を己の心とし、自然と調和しながら平和に暮らす生き方」といえます。
このような古人(いにしえびと)の姿に、現代を生きる私たちが学ぶことは沢山あるのではないでしょうか。神話や神事は私たちに不易(ふえき/時代を通して変わらないこと)を教えてくれます。今日まで奏上され続けている「大祓詞」にはそのような大切なこころが潜んでいるように思います。
本作品は、大人から子どもまで幅広い世代の方々が楽しんでいただけるように「大祓詞」が持つ深遠な世界観をアニメーションで表現いたしました。原作は「小國神社ものがたり」でお馴染みの静岡市在住の絵本造形作家たたらなおきさんによるものです。
作品をご覧になった皆さまの心に、「清らかな心を尊ぶ日本人の姿」が宿ることを願います。
大祓詞は大きく四つの場面にわけることができます。
大祓詞の冒頭は、高天原(天上界)に鎮まる神漏岐命(カムロキノミコト)、神漏美命(カムロミノミコト)と八百万の神々が会議を重ねられた後、皇御孫命(スメミマノミコト)へ豊葦原水穗国(日本の美称)を高天原のような安らかな国として平和に治めるようにと使命を与えました。その後、地上の荒ぶる神々を鎮め、天上の高天原から地上へ降臨しました。
地上へ降りた皇御孫命(スメミマノミコト)は国の中心を大倭日高見国(オオヤマトヒダカミノクニ)と定めて、そこに立派な宮殿を建てて平和で安定した国として治めていました。ところが国内では、どうしても様々な罪や穢れが発生してしまいます。
そこで、皇御孫命(スメミマノミコト)は様々な罪や穢れが発生した際に、それらを消し去る方法を教えました。
その方法とは、高天原(天上界)で行われている神事(お祀り)に従ってお祓いを行い、「天つ祝詞の太祝詞事」を奏上して、神々にお祈りを申し上げます。そうすれば、神々はその願い事を聞き入れて下さるであろうと述べます。
「天つ祝詞の太祝詞事」をお聞き届け下さった神々のお働きにより、人間たちの全ての罪や穢れがなくなっていく様子が表現され、改めて人間たちの罪や穢れを祓い清めていただくよう祈りを捧げています。
高天原に神留まり坐す 皇親神漏岐神漏美の命以て 八百萬神等を神集へに集へ給ひ 神議りに議り給ひて 我が皇御孫命は 豊葦原瑞穂国を 安国と平けく知ろし食せと 事依さし奉りき 此く依さし奉りし国中に 荒振る神等をば 神問はしに問はし賜ひ 神掃ひに掃ひ賜ひて 言問ひし 磐根木根立ち 草の片葉をも事止めて 天の磐座放ち 天の八重雲を 伊頭の千別に千別て 天降し依さし奉りき 此く依さし奉りし四方の国中と 大倭日高見国を安国と定め奉りて 下津磐根に宮柱太敷き立て 高天原に千木高知りて 皇御孫命の瑞の御殿仕へ奉りて 天の御蔭 日の御蔭と隠り坐して 安国と平けく知ろし食さむ
国中に成り出でむ天の益人等が 過ち犯しけむ種種の罪事は 天つ罪 国つ罪 許許太久の罪出む 此く出でば天つ宮事以ちて 天つ金木を本打ち切り末打ち断ちて 千座の置座に置き足らはして 天つ菅麻を本刈り断ち 末刈り切りて 八針に取り裂きて 天つ祝詞の太祝詞事を宣れ
此く宣らば 天つ神は天の磐戸を押し披きて 天の八重雲を伊頭の千別きに千別きて 聞こし食さむ 国つ神は高山の末 短山の末に登り坐して 高山の伊褒理 短山の伊褒理を掻き別けて聞こし食さむ 此く聞こし食してば 罪と言ふ罪は有らじと 科戸の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く 朝の御霧 夕の御霧を 朝風夕風の吹き拂ふ事の如く 大津辺に居る大船を 舳解き放ち 艪解き放ちて大海原に押し放つ事の如く 彼方の繁木が本を焼鎌の敏鎌以て打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと
祓へ給ひ清め給ふ事を 高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐す瀬織津比売と云ふ神 大海原に持出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮の八百曾に坐す速開都比売と云ふ神 持ち加加呑みてむ 此く加加呑みてば 気吹戸に坐す気吹戸主と言ふ神 根国 底国に気吹放ちてむ 此く気吹放ちてば 根国 底国に坐す速佐須良比売と云ふ神 持ち佐須良比失ひてむ 此く佐須良比失ひてば 罪と言ふ罪は在らじと 祓へ給ひ清め給ふ事を 天つ神 国つ神 八百萬の神等共に聞こし食せと白す
(「へ」→「え」、「ひ」→「い」、「ほ」→「お」等と表記しています)
たかまのはらにかむづまります すめらがむつ かむろぎ かむろみのみこともちて やおよろづのかみたちを かむつどえにつどえたまい かむはかりにはかりたまいて あがすめみまのみことは とよあしはらのみづほのくにを やすくにとたいらけく しろしめせと ことよさしまつりき かくよさしまつりし くぬちに あらぶるかみたちをば かむとわしに とわしたまい かむはらい(に)はらいたまいて ことといしいわね・きねたち くさのかきはをもことやめて あめのいわくらはなち あめのやえぐもを いづのちわきにちわきて あまくだしよさしまつりき かくよさしまつりしよものくになかと おおやまとひだかみのくにを やすくにと さだめまつりて したついわねに みやばしらふとしきたて たかまのはらに ちぎたかしりて すめみまのみことの みづのみあらかつかえまつりて あめのみかげ ひのみかげとかくりまして やすくにとたいらけくしろしめさむ
くぬちになりいでむ あめのますひとらが あやまちをおかしけむ くさぐさのつみごとは あまつつみ・くにつつみ ここだくのつみいでむ かくいでば あまつみやごともちて あまつかなぎをもとうちきり すえうちたちて ちくらのおきくらにおきたらわして あまつすがそをもとかりたち すえかりきりて やはりにとりさきて あまつのりとのふとのりとごとをのれ
かくのらば あまつかみは あめのいわとをおしひらきて あめのやえぐもを いつのちわきにちわきて きこしめさむ くにつかみは たかやまのすえ ひきやまのすえにのぼりまして たかやまのいぼり・ひきやまのいぼりを かきわけて きこしめさむ かくきこしめしてば つみというつみはあらじと しなど(と)のかぜの あめのやえぐもをふきはなつことのごとく あしたのみぎり ゆうべのみぎりを あさかぜ ゆうかぜのふきはろうことのごとく おおつべにおるおおふねを へときはなち ともときはなちて おおうなばらに おしはなつことのごとく おちかたのしげきが もとをやきがまのとがまもちて うちはろうことのごとく のこるつみはあらじと
はらえたまいきよめたもうことを たかやまのすえ ひきやまのすえより さくなだりにおちたぎつ はやかわのせにます せおりつひめというかみ おおうなばらに もちいでなむ かくもちいでいなば あらしおのしおのやほぢの やしほぢの しおのやおあいにます はやあきつひめというかみ もちかかのみてむ かくかかのみてば いぶきどにます いぶきどぬしというかみ ねのくに そこのくにに いぶきはなちてむ かくいぶきはなちてば ねのくに そこのくににます はやさすらひめというかみ もちさすらい うしないてむ かくさすらい うしないてば つみというつみはあらじと はらえたまい きよめたもうことを あまつかみ くにつかみ やほ(お)よろづのかみたちともに きこしめせともうす
高天原(天上)にお鎮まりになられる民族の祖神、カムロギ(男神)カムロミ(女神)のご命令によって、八百万の神々が集まられて、会議に会議を重ね、論議に論議をつくされた結果、天照大御神は、「わが子孫である皇御孫命(すめみまのみこと)(天皇)よ、豊葦原の瑞穂の国(日本)を、安らかな国として平和に治めなさい」と仰せになり委託されました。
しかし、託された国内には、不平を言っては反対する神々がいましたので、この神たちの考えや不満を何度も聞き直し、また見直ししながら、国造リに協力して貰えないか繰リ返し相談しましたら、荒れていた神々は、やがてその真意を理解し協力するようになりました。すると岩や木や、草の一葉までもがこれに同調し、騒乱の国土はすっかり平穏に治まりました。そこで皇御孫命は、高天原の御座所を立たれ、幾重にも重なる雲を掻き分けながら、地上に降臨されました。
このようにして天照大御神から、委託を受けた皇御孫命は、国の中心の大和の地を都と定められ、盤石な礎石の上に太い柱を建て、屋根は天まで届くかのような高い千木を取り付け、荘厳な御殿をお造りになリました。
その御殿で皇御孫命は、皇祖の神々のお陰を戴きながら、この国を平安な国として治め、さらに努力しますが、国内に生れ育つ人間というのは悲しいもので、故意の罪や無意識の過ちを犯したリして、数多の罪や穢れを溜めてしまうのです。
皇御孫命は、そのような罪穢れが生じた際に、それを消し去る方法を教えました。それは、高天原の神々の儀式に倣って、細い木の本と末を切り揃え、これを罪の贖い物として、多くの台の上に沢山積み、また菅や麻の本と末も切り、真中の良いところを細かく裂き、それを祓いの道具に用いて神事を行い、この神聖な祓いの祝詞を唱えなさい。
このように唱えるならば、天上の神は高天原の門を開かれて、幾重にも重なった雲を押分けてお聞きくださるでしょう。また地上の神も、人間の様子がよく見える高い山や低い山に登られて、霞や雲や霧を払いのけ、人間の願いをお聞きになるでしょう。
このように、天上の神や地上の神々が、お聞き届け下さいましたならば、四方世界の罪穢れは一切なくなってしまうでしょう。それはあたかも、風が八重の雲を吹き払うように、また朝夕に立ちこめる霧を風が吹き払うように、あるいは港に繋ぎ止めて不自由な様子の、船の綱をほどき、自由に広い海を航海させるよつに、また鬱蒼と繁っている木々を、鋭い鎌で切り払えば、回りが明るくなリ、爽やかな気持ちになるように、漏れ残る罪穢れは一つもないように祓われて清らかになるでしょう。
このように祓い清められた罪穢れは、高い山低い山の上から、谷間を勢いよく流れ落ちる早川の瀬にいる瀬織津姫という神様が大海原に流し去ってくれるでしょう。
大海原に流されたならば、押し寄せる荒潮がぶつかり合って、渦を巻いている所にいる速開都比売という神様が、大きな口を開けて罪穢れをがぶがぶ飲み込み、海底深く沈めてくれるでしょう。
海底深く飲み込まれた罪穢れは、次の、息を吹き出す所にいる気吹戸主という神様によって、「根の国、底の国」という地下の国に遠く吹き放ってしまわれるでしょう。
吹き放ってくださると、根の国底の国にいる速佐須良比売という神様が、何処とも知れず運び去って、跡形もなく消し去ってくれるでしょう。
このように、あらゆる罪槻れを消し去って戴きますことを、天上の神様、地上の神様、そして八百万の神様ともどもに、どうかお聞き届け下さり、私たち人間の罪穢れを祓い清めて戴きますよう、謹んでお祈りし申し上げます。
大祓を覚えようとして直面するのが、その長さだけでなくどこで区切ればいいかわからないことです。
最初から最後までずっと連続しているようにしか思えず、覚えようとするそばから挫折してしまいます。しかし、大祓はその内容から4つのブロックに分けることが出来ます。
まずはそれぞれのブロック(1~4)ごとに覚えていって、最後に全部通して奏上できるように練習しましょう。
決まった息継ぎの位置はありません。
意味が途切れないところで息継ぎをすることが望ましいですが、あまり固く考えずに奏上しましょう。また、大勢でで奏上するときは、他の人が息継ぎしている間は自分が声を出すようにして、全体として途切れないようにすることを意識しましょう。
音程にも決まったものはありません。
あまり抑揚をつけず、清らかな川の流れを意識しながら、言葉が流れているように奏上しましょう。また、皆で奏上するような時に一人だけ外れているような人がいることがありますが、できるだけ周りの音程と差が出ないように調和をとることが望ましいです。
大祓式とは、日常生活の中で知らず知らずに犯した罪や過ち心身の穢れを身代わりとなる人形(ひとがた)に託し海や川に流して祓い清める神事です。特に夏越大祓式では茅の輪をくぐる「茅の輪神事」を行います。
その由来は、奈良時代に編集された備後国風土記(びんごのくにふどき)の逸話が関係しています。
武塔神(ムトウノカミ)が、南海の神の娘と結婚するために、南海を旅している途中、蘇民将来(ソミンショウライ)、巨旦将来 (コタンショウライ)という兄弟のところで宿を求めたところ、弟の巨旦将来は裕福であったにもかかわらず宿泊を拒んだのに対し、兄の蘇民将来は貧しいながらも喜んで厚くもてなしました。
その数年後、再び蘇民将来のもとを訪ねた武塔神は「もし悪い病気が流行ることがあった時には、茅の輪を作り腰につければ病気にかからない」と教えられました。そして疫病が流行したときに巨旦将来の家族は病に倒れましたが、蘇民将来とその家族は茅の輪で助かったというのです。
この言い伝えから「蘇民将来」と書いた紙を門にはっておくと災いを免れるという信仰も生まれました。
茅の輪も当初は風土記に示されたとおり小さなものを腰に付けるというものでしたが、しだいに大きくなり江戸時代初期には、大きな茅の輪をくぐって罪や災いと取り除くという神事になりました。
略拝詞
「はらへたまへ きよめたまへ まもりたまへ さきはえたまへ」
(祓い給へ 清め給へ 守り給へ 幸え給へ)
地域や各神社で、茅の輪くぐりの時に唱える「唱えことば」が違うことがあります。
~奈良時代に編纂の備後国風土記の逸話をもとに奉製するお守り~
夏越大祓式では大きな茅の輪をくぐる神事があります。
風土記によると、その始まりは小さな茅の輪を腰に付け、災い除けとしたことが記されています。
当社では、その故事にちなみ、災い除けのお守り「茅の輪守り」を授与しています。
毎年、夏越大祓式の受付が始る5月上旬より奉製が整い次第授与を開始します。
社頭にて授与しておりますので、お問い合わせ下さい。
初穂料 | 800円也 |
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大祓式とは、日常生活の中で知らず知らずに犯した罪や過ち心身の穢れを身代わりとなる人形(ひとがた)に託し海や川に流して祓い清める神事です。特に師走大祓式では、新年を間近に控えた1年の総括としてのお祓いで、当社では引続き拝殿にて「除夜祭」を行います。
除夜祭について ~準備中~
当社にて「ご祈祷」をお受けになられた方や
以前「大祓式」をお申し込みされた皆さまにはご案内をお送りしています。
神事の後、お申込み頂いたご住所へ順次お神札をお送りしております。
(1週間程度で到着いたします。)
ご遠方にお住まいの方、神社にお越しになれない方には「大祓人形」をご郵送しています。社務所までお問い合わせ下さい。
小國神社社務所内「大祓式係」0538-89-7302
当日は事前予約等は必要ございません、どなたでもご参列いただけます。
両儀式とも約1時間ほどの儀式となります。