一の鳥居(いちのとりい)
社頭にかまえる明神型の鳥居
社号額の揮毫は当時の神明伊勢神宮大宮司坊城俊良氏によるものです。
昭和44年4月18日に建立されました。
神明(しんめい)鳥居とは上部の横柱が一直線の造り、明神(みょうじん)鳥居とは両端が上向きに反っている造りです。(60種類以上あるといわれます)
社号額の揮毫は当時の神明伊勢神宮大宮司坊城俊良氏によるものです。
昭和44年4月18日に建立されました。
神明(しんめい)鳥居とは上部の横柱が一直線の造り、明神(みょうじん)鳥居とは両端が上向きに反っている造りです。(60種類以上あるといわれます)
大宝元年春18日、勅使参向し十二段舞楽を奉奏、以来毎年勅使奉幣し舞楽を奉奏せられた当時の勅使参道跡であります。
明治15年まで、この場所に楼門がありました。楼門は明治15年、火災により焼失しました。
ご祈祷を申し込まれた方の控室を主とし、神札庫・貴賓室などもございます。
家内安全・商売繁盛・開運厄除・良縁成就・交通安全等のご祈祷の受付所であり、命名・選名、神前結婚式、神葬祭、出張祭典、各種部屋・使用などのお申し込みも受付いたします。
となりの授与所では、お神札・お守りを授与しています。
神社・神道に関するご質問などお気軽にご質問下さい。
神社社務全体を司る事務室が集中しています。
斎館では祭典奉仕の祭員が心身を浄め参籠し、装束を着装し祭典奉仕に臨みます。装束室では祭典別の衣装が管理されています。
1階には結婚式の新郎新婦及び親族控え室がご用意されています。
南側のスロープを進むと2階に椅子100席を設けた研修室が設けられ、文化活動の拠点として講演会や展示会を開催できる施設となっております。
1階の休息室は暖房設備、樹齢350年の境内杉を使用した机、お手洗いの併設など参拝者にゆとりのある休息をして頂けます。
小國神社大宝殿は昭和44年に崇敦者の参篭(おこもり)各種研修会・諸会合・結婚式披露宴会場等各目的に利用出来るよう建てられたものです。
昭和28年に国有境内地払下げと小國神社十二段舞楽県文化財指定等を記念してつくられた建物で現在は舞楽の伝習所としてまた、青少年健全育成宿泊施設として野外活動の本拠地となっています。
宝槌は御祭神大己貴命だいこくさまの御神宝です。
だいこく様が国造りを始めたのが子の年で古来より子年縁午と称へ御霊験あらたかと伝へられています。
よって氏子崇敬者甲子講員等によって天下泰平・諸業繁栄・良縁成就・交通安全・諸願成就の祈願をこめて奉納したものであります。昭和47年壬子年、2月3日初甲子祭。
徳川家康公の天下統一の基は、浜松在城 15 年間の辛苦の賜ものであるといわれ、その生涯において重要な祈願所のひとつがここ、小國神社であったと伝えられています。
戦乱の世、元亀 3 年(1572)九月二十二日に「当社(小國神社)の神力に頼らなければ勝つことができない」という切実な思いを込めた願文と名匠「三条小鍛冶宗近」を銘する大刀二振を当社に奉納の上、戦勝・開運を祈願しました。(小國神社 延宝八年古記録より)
次いで、天正 2 年(1574)、犬居城攻略の道すがら再び参拝し、この石に腰かけて休息されたと伝えられています。
以来、家康公は長篠の戦い・関ケ原の戦いに勝利し、天下統一の大願を叶えたことから「立ち上がり石」と伝わり、これにあやかり心願成就・大願成就を祈り石に腰かけて帰る人々の姿が絶えません。
当社之神力 争得勝之乎 仰冀
〈元亀三年 徳川家康公願文写より〉
意訳:畏くも恐れ多い小國大神の神力を得て、この戦に勝利することをただひたすらに祈る。
御祭神大己貴命(大国主命)が遠江の国造りをされ此の地に留まりて諸業を教へ給う中に金銀の印として此の石を授けたと云われ、以来諸民此を金銀石と一称し、また、金運石とも並石、引寄石、夫婦石とも云われ松を願掛松(待つ)と云い、石を撫で松の幹を撫でれば金運や良縁に恵まれると伝へられています。
神徳殿前に奉納されています。
平成15年(2003年)に行われた第58回国民体育大会に秋篠宮同妃両殿下が御臨席遊ばされた折り、当社にお立ち寄り頂きご参拝を賜りました。
この慶事を記念した御参拝記念碑が拝殿右手前にございます。
平成23年(2011年)、県知事が「森町民俗芸能・民俗行事公開大会」に勅使役として参加された際に献詠された「しきしまのやまと想ほゆ森町の小國神社に勅使出で立つ」の歌が刻まれております。この場所は、大宝元年(701)勅使が参向されて駒(馬)から降りられた場所です。
森町出身の書家「杭迫柏樹」先生の「ふるさとの詩」展を記念した石碑です。参道入り口にございます。
杭迫柏樹 略歴
敬神崇祖とは、神を敬い、祖先を崇める心。これは日本人が美徳としてきた考え方の一つです。
奈良時代の頃から神仏習合が行われ、写経して神前に奉納したり、経塚に納める風習が起こりました。 当社にもこの行事があり、この塚は当時の遺跡であります。
明治18年御本殿修築に際し、塚の半分を欠き半月形をなしています。この経塚より仁安3年9月28日の銘がある土器1個、経筒2個、古鏡2面、曲刀一振を出土し、町指定文化財に登録され、宝蔵に現存しています。
毎月焼納祭を行いお祓いの上、お焚上げいたします。ご家庭のご安泰を感謝の上お納めください。尚、ひな人形・五月人形等節句にお祀りしたものに限りご祈祷の上焼納いたします。
参道入り口の右手にあり、神社正面の駐車場にも隣接しております。
「ことまち」とは願いを待つ、願い事のまま叶うという意味です。
当社に参拝をして願い事が叶った人が、御礼として境内にある「事待池(ことまちいけ)に鯉を放ったという伝説から「ことまち」というお名前を頂戴し、「ことまち横丁」と命名いたしました。
神社正面一の鳥居の参道入口にあり、参拝のご休憩、お食事、お土産どころとしてご利用いただけます。
(茶寮宮川、隠れ河原のかりん糖・華うどん、もち焼きせんべい寺子屋)
ことまち横丁
営業時間/9:30~16:30
http://www.kotomachi.com
夏は新緑、秋は紅葉と御神域を流れる宮川の清流を望みながらご休憩いただけます。
株式会社久米吉
営業期間/4月中旬~12月初旬(予定) TEL/0538-89-0015
http://www.kumekichi.co.jp
「みもろ」の意味は「神聖な森」といわれます。
森町の伝統陶芸品「森山焼(田米陶房)」の流れを汲む特別な陶芸品で、作品の特徴は境内にある様々な小國大神様の恵みを利用して陶芸品を御神域の中で焼き上げることにあります。
「別所窯」では展示・販売がされますので、ご参拝の折りにお立ち寄りください。
遠州みもろ焼 別所窯
営業時間/9:30~17:00迄 TEL/0538-89-6031
納める事はできません。
当社では、『清め祓い』というご祈祷は行いますが、ご祈祷が終わりましたら、ご自宅に持ち帰っていただいて、市町村別の分別でお出しください。
おひな様、五月のお節句のお人形は、お子様の無事成長を祈願したお人形様になりますので、『焼納』というご祈祷を受けていただいて納める事ができます。
お持ちのなる際は、ガラスケ―スをはずして、お人形さまだけにしてお持ち下さい。