玉垂7号
発行:平成15年2月1日
ご挨拶
平成十五年癸未歳の新春を迎え、竹の園生の弥栄を祈念し、氏子崇敬者各位の御健と御繁栄をお祈り申し上げます。
正月三ヶ日、殊に元旦は温かくまるで羊の毛に包まれたような感じでしたが、一転四日以後は寒さが戻り寒暖交互の年頭となりました。
さて、昨年は米国のテロ事件後の国際的緊張や北朝鮮による拉致被害者の一部帰国、イラクの核査察、そして北朝鮮の核再開発等、国民を震撼させる事件が多発し、最悪の事態を想像された方も決して少なくなかったと思います。また同時に、拉致事件をはじめ多くの外交問題に対する我国政府の対応に、不満といらだちを感じた人も私を含め多数いたのではないでしょうか。
「外交」とは、国益増進の為の外国との交渉であって交際で終わってはならないのです。そして交渉には、対立がつきものであることも当然な話しです。
以前、書物をきっかけに「文明の対立」という表現がよく使われましたが、これはユダヤ、キリスト、イスラム等、一神教の原理主義による対立がほとんどです。
このことは、百を越す世界の地域紛争の歴史を見れば明らかです。したがって、この現実に対する危機感は世界の常識なのですが、我国では「あえてふれない」か「対岸の火」程度にしか認識しない人等が多く心配です。
一方、我国の宗教事情は多神教です。山川草木に始まり万物に神(八百万の神)が宿り、その恵によって私たちは生かされている、やっぱり日本は「神々の国」なのです。
特に自然の恩恵は、すべての生命体に影響を与えています。神々に恵を願いまた感謝する、これすなわち神社の祭の原点なのです。
そして先人たちは、日常生活の中でこの伝統的宗教観を守り伝えて来たのです。
昨年、拉致被害者が帰国した折「氏神様のお蔭」と言った父親の姿は印象的でした。
昨今、国際化の流れの中で日本の役割が度々取りざたされますが、伝統と文明がみごとに共存している日本の精神文化こそが最大の貢献材料ではないでしようか。平成十五年も内外共に多事多難な年になりそうです。
そもそも、国には国の、地域には地域の、家には家の「かたち」があります。
このかたちを大切に事に当たれば、かならず先は開けて来るのです。今、政府主動の市町村合併が進められています。これも文化共同体としての「かたち」が主軸になければ、「ふるさと」としての愛着が薄かないのではと気がかりです。唱歌「故郷」の一節「・・・・・忘れがたき故郷」は、歌だけにならないようにと念じております。
年頭に際し、所懐の一端を述べご挨拶と致します。
(一月七日記)