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玉垂5号

発行:平成14年7月10日

小國神社十二段舞楽の調査にあたって

美しく、そして貴重な文化財である小國神社十二段舞楽。
初めてこの舞楽に出会った時、私は舞と楽との関係に、とても興味を持ちました。それは、舞の所々で、舞人が楽と一定の距離をおいて舞う点にあります。舞は大抵、笛や太鼓に合わせて舞われるのですが、時折それらとは関係せずに所作が行われるのです。
笛や太鼓と離れて舞うその姿は、何ともいいようのない不思議な感じで、私はたちまち森町の舞楽の虜(とりこ)になってしまいました。この度、京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センターからの依頼もあり、こうした森町舞楽の楽と舞との関係を明らかにしたいと思い、調査をさせていただいています。 さて、「唱歌(しょうが)」という言葉があります。日本の音楽で楽器の習得をする際、口で旋律を唱えて練習をやりやすくするために用いるものであるという解釈が一般的です。
三味線の「テントンシャン」とか、太鼓の「テンツクテン」などといったものを思い出していただければ結構です。
この「唱歌」、実は舞楽の舞を覚える時にも大変重要な働きをいたします。舞人や指導者は、唱歌を唱えながら練習を重ねていくのです。この点、小國神社の舞楽も例外ではありません。
唱歌は、笛の節や太鼓のリズムを模して唱えているため、舞楽の場合、基本的に楽と同じものが多いのです。このため、唱歌は舞の練習と楽の習得の双方に役立てることができます。例えば、新潟県能生町白山神社舞楽の場合、唱歌を覚えれば、舞を舞う時も笛を吹く時も、それを頼りに学習できるわけです。ところが、小國神社の舞楽では、「笛の唱歌」と「舞の唱歌」の別があり、これらの関係には双方同一の場合と異なる場合があるのです。前者の場合、すなわち「舞の唱歌」と「笛の唱歌」が同じ時は、舞人は楽に合わせて舞うことになり、楽と動きは一致します。例えば「鳥の舞」などがそうです。しかし後者では、舞人は「笛の唱歌」とは異なった「舞の唱歌」により舞うために、楽の流れと舞の動きは合いません。例えば、「新靺場」では、こうしたおもしろさを楽しむことができます。
さらに、興味があるのは、打ち物(太鼓・鉦鼓)の位置づけです。打ち物は、「笛の唱歌」とともに打たれる場合と「舞の唱歌」に加えられる場合があるのです。「太平楽」を見ていると、この打ち物の関係が時々入れ替わり、舞を引き立たせています。加えて、演目によっては、笛や打ち物の音が一切消えて、「舞の唱歌」のみで舞われることもあります。この時、境内に楽は聞こえず、舞人の舞う姿だけが視覚的にとらえられます。この点において「安摩」は、とても魅力的な舞です。今後の調査では、こうした舞と唱歌との関係の詳細をいっそう明らかにしたいと考えています。
調査は、打田宮司様はじめ、関係の皆様からの多大な御協力により進行しています。ここに紙面を借りてお礼申し上げます。