TOP季節の便り | 斎庭の草花 シライトソウ・ニガナ・シロツメクサが開花しています。◆明治天皇御製(ぎょせい)・昭憲皇太后御歌(みうた)に親しむ◆
2020.05.06

斎庭の草花 シライトソウ・ニガナ・シロツメクサが開花しています。◆明治天皇御製(ぎょせい)・昭憲皇太后御歌(みうた)に親しむ◆

5月の連休も半ばを迎え、政府の専門家会議が4日、「新しい生活様式」の実践例を示しました。
本県におきましてもそれに倣った基本方針が5日に発表されました。

私たちもしっかりと実践例を意識し、生活様式を移行させつつ、不自由、不便を乗り越え、一日も早い終息へと国民一丸となって進んで参りたく存じます。

(令和2年5月5日撮影の新緑の宮川)

さて、本日は曇りがちな天気でありますが、とても過ごしやすい一日となりそうです。
宮川沿いでは、最近はアカショウビンの鳴き声が聞こえるようになりました。
ツバメもここ数日で元気に空を飛び回っています。

現在、外出を自粛されている方も多いかと存じます。心が塞がりがちな世相ではありますが、「心の健康」を保つことは「身体の健康」とともにとても大切なことと存じます。

季節の確かな移ろいを感じ、「心の潤い」を大切にしていただければ幸いに存じます。

それでは、開花情報をお届けいたします。

(シライトソウの開花/令和2年5月5日撮影)

シライトソウの季節は爽やかな風が良く似合います。和名は糸を束ねたような花の姿に由来するとされ、属名はギリシャ語で雪の筆を意味する「Chionographis」です。和名、属名ともにとても趣がある名前です。

スウェーデンのカール・ツンベルクによる『日本植物誌(Flora Japonica)』(1784年)において、シライトソウは世界に紹介されました。現在は日本と韓国に分布していると考えられています。

まだまだ、これから花の背丈が伸び、花が開いてきますので、よく観察してみて下さい。

(ニガナの開花/令和2年5月5日撮影)

キク科の植物で小さく可憐な花を咲かせます。初夏の道端や明るい草地に生える多年草。
決して珍しい山野草ではありませんが、小國神社の初夏を告げてくれる花の一つです。
小指の先程度(1cm)の花です。

(シロツメクサの開花/令和2年5月5日撮影)

漢字では、「白詰草」と書きます。
詰め草の名称は1846年 (弘化3年)にオランダから献上されたガラス製品の包装に緩衝材として詰められていたことに由来するそうです。

日本においては、明治時代以降、家畜の飼料用として導入されたものが野生化したものが根付いた帰化植物です。
シロツメクサが保有する根粒菌の作用により窒素を固定することから、地球を豊かにする植物として緑化資材としても使われます。

また、葉は3枚のものが通常ですが、4枚葉やそれ以上のものも見受けられます。
私たちには、4枚葉のものは「幸せを呼ぶ四つ葉のクローバー」として馴染みがあるかもしれません。

小國神社では、事待つ池周辺にありますので、「四つ葉のクローバー」を探してみてはいかがでしょうか。


日々、新たに感染症についての報道がなされています。正確な情報を把握し不自由、不便を乗り越え、冷静に対応することで、一丸となって鎮静化に努め、この国難とも言える事態を乗り越えてゆくことが大切であると存じます。

不平や不満では解決することは難しいものです。
職員一同、国の安寧と世界の平和を祈り、社務に精進してまいります。

(令和2年5月6日撮影の宮川)

◆明治天皇御製(ぎょせい)・昭憲皇太后御歌(みうた)に親しむ◆

さて『季節の便り』では激動の変革期を治められ、国土と自然を愛し多くの優れた和歌を残された明治天皇の御製(陛下がお作りになられた和歌)、昭憲皇太后の御歌(皇太后がお作りになられた和歌)をご紹介いたします。

それぞれの歌に込められた大御心に触れて頂くきっかけとなれば幸いに存じます。

御 歌

◇ともしびの もとに書みて おもうふかな むかしもかかる ことのありきと◇

意 訳

◆灯火の下で心静かに書物を紐解くと、昔もこのようなことがあったのだと、いろいろと考えさせられたことです。◆

今回は御歌です。

日露戦争が開戦した年、明治37年に詠まれた和歌です。

さて、この戦いの背景には沢山のエピソードが残され、枚挙にいとまがありません。
様々な識者たちが書物などでも語っています。

そのなかでも、改めて教訓とすべきは国のために「一致協力」をした明治の人々の姿勢ではないでしょうか。
指導者から一般国民に至るまで、日本を守るために力を合わせました。
このことが日本を支える大きな力を生み出したと言えます。

海軍大将の山本権兵衛や陸軍大将の児玉源太郎などのエピソードに触れる度に、誰もが自分が「やらなければならない」という強い思いを抱いていたことが伝わってきます。

この「有事に際し、己を抑え、目的に向かって進む」という姿勢が「一致協力」という結果をもたらしたと言えます。
これこそが勝てそうもない巨大な敵に立ち向かい、見事に勝利をつかんだ明治の人々姿ではないでしょうか。

私たちもこのような姿勢から学ぶことはとても多い気がいたします。
自宅での時間が増えるなか、当時のエピソードが書かれた書物を読んでみるのも良いかもしれません。


□昭憲皇太后について□

~社会福祉や女子教育に尽力された生涯~

昭憲皇太后は嘉永3年、一条忠香公の第三女としてお生まれになられました。

生涯にわたり、女子教育のご奨励と博愛、慈善事業について尽力されました。
なかでも、お茶の水の東京女子師範学校の設立の際には、多額のお手許金(私有財産)を下賜(かし)されたことは広く知られています。

とりわけ、日本赤十字社の設立と経営に尽くされ、赤十字国際委員会に寄付された「昭憲皇太后基金(Empress Shoken Fund)」は、赤十字の平時における救護活動の先例となりました。
いまでもその基金は、世界各国の赤十字助成のために活用され、今日までその恩恵に浴した国は、延べ500ヶ国におよんでいます。

大正3年4月11日に崩御され、伏見桃山東陵に埋葬されました。
現在は、東京都代々木に鎮座する明治神宮において、明治天皇とともにそのご神霊がお祀りをされています。