令和2年は「庚子年」(かのえねどし)!!佳き年に改めて学ぶ ご祭神大己貴命(おおなむちのみこと)と瑞兆の年、「子年」
本年は天皇陛下のご即位により新時代のスタートが切られ、「平成」から「令和」へと時代が移り変わりました。
ご即位に係る一連の諸儀式を拝し、「最古の伝統」と「最先端の文化」が共存する我が国の国柄に改めて感動をされた方も多いことも存じます。
当社といたしましても、古きを大切にしつつ、新しい英知を取り入れながら令和2年のスタートを迎えたく存じます。
さて、令和2年は十干十二支の巡りで「庚子年」(かのえねどし)となります。
子年と小國神社はとても関わりが深く、「瑞兆の年」と古より伝わります。
そこで、令和2年庚子年を迎えるあたり、『小國神社と子年』の関係についてお伝えいたします。
多くの皆さまが、この佳き年にお詣りなされ、神さまのご加護を戴かれますようご案内申し上げます。
■小國神社のご祭神「大己貴命」(おおなむちのみこと)のご神徳■
大己貴命は「大国主命(おおくにぬしのみこと)」と呼ばれ、神話の中でも「因幡の白うさぎ」はよく知られており、赤裸にされたうさぎを助けられた心のやさしい神さまです。(一般には「大国様(だいこくさま)」と呼ばれ親しまれています。)
大己貴命は「古事記」「日本書紀」に記されているように、多くの神名(神さまのお名前)が伝えられています。
豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに/日本)を稲穂がたくさん稔る豊かな国に造りあげ、天孫に国をお譲りした神さまとして「国作之大神(くにつくりのおおかみ)」・「大穴牟遅神(おおなむじのかみ)」ともいわれています。
また、農業・山林・鉱業・縁結び・医薬の開発・禁厭の法(鳥や害虫から作物を守る方法)を授けた神さまとして「大物主神(おおものぬしのかみ)」・「宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)」・「大国玉神(おおくにたまのかみ)」とも呼ばれ、国中の悪い神さまを追い出して平和な国に治められた神さまとして「葦原醜男命(あしはらのしこおのみこと)」・「八千矛命(やちほこのみこと)」と称えられています。
このようにお名前が多いことは、様々なお力を発揮され人々の暮らしを豊かにしてきたことの証でもあります。
当社ではとくに、「人々の様々な縁を結び、育む」お力を強く発揮される神さまとして、古より信仰されてきました。
■小國神社と子年(ねどし)■
小國神社では特に大切にしている年の一つです。干支の子(ねずみ)は、十二支が廻って、1番目の始まりの年となり、ねずみは多産であり、すぐに成長することから、子孫繁栄の意味があるとされ、世代が引き継がれ、循環していくと年などとも言われます。
ご祭神大己貴命(おおなむちのみこと)(だいこく様)が国造りを始めたのが、甲子(きのえね)の年と当社に伝わることからも「子年」は大変縁起が良いとされています。
■だいこく様とねずみ■
ーだいこく様をお助けした良獣ー
~内はほらほら 外はすぶすぶ~
ねずみは、古事記の記述よると、当社のご祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)(大国主命)が須佐之男命(すさのおのみこと)より試練の火攻めを受け、広野の中で野火に囲まれて身動きが取れなくなっていたとき、ねずみが足元の大穴を「内はほらほら 外はすぶすぶ」と指し示し、大己貴命はその穴に飛び込み、火が燃えすぎるのを待って助かったという神話が残されています。
まさに、ねずみは小國神社のご祭神大己貴命の命の恩人といえます。
○子年のよもやま話
「甲子園球場」の完成は大正13年(1924年)8月1日です。 この年は、奇しくも、十干、十二支のそれぞれ最初の「甲(きのえ)」と「子(ね)」が60年ぶりに出合う年でした。 縁起のよいこの年にちなんで、この付近一帯を「甲子園」と名付けたのがはじまりです。
職員一同、多くの皆さまのご参拝を心よりお待ち申し上げます。
令和2年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。