あらまし
田遊びの創始は鎌倉時代中期と伝えられています。
神社所蔵の延宝8年(1689)の記録には、旧暦正月3日の夜、神前の白洲で執り行われたことが記されています。
田遊びとは、年の始めにその年の豊作を祈願して田作りから刈り入れまでの稲作課程を模擬的に演じてみせる神事芸能をいい、田の神を活気付けるところに原義があったといわれています。
12段の演目により構成され、旧社家の36軒の方により奉仕されます。芸能は朴訥としていて芸能的色彩は薄く、詩章である唱え言を中心とした見立て芸がいかにも古能を偲ばせてくれます。いわば所作よりもむしろ、言霊の霊力による予祝讃美に中心があります。祭典を拝殿、神事を舞殿にて斎行し、神事後には参拝者に牛王神札の授与また投餅を行っています。
昭和35年4月15日に「静岡県無形文化財」に指定され、平成19年3月7日に国より「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択されました。
演目
田遊びに要する諸具は、大太鼓、鼓、小桶・扇子・榊・種籾・牛王・柳の枝。
大大鼓は田に見立てられ、榊の葉は肥草をあらわします。牛王は小國神杜ではゴオウでなくギュウオウと呼びならわしています。
白紙を五角形に折り、120センチほどの青竹に挟み、麻紐を桔びつげます。麻紐は蝶結びにして牛の耳をかたどります。これに「卯・―宮午王」の文字を刷ります。牛王は牛を形象化したものですが―方で神の依り代としての幣束の意味をもつといわれています。他に、これを模した二十センチほどの小形の牛壬があり、こちらは餅と―緒に撒きます。
柳は素鍬と烏追いの時に用いられ、鍬や烏追い棒をあらわします。小國神社では、追難祭や節分祭にも柳の枝が使われ、水口に刺します。除魔の木として神聖視されたといわれています。